2022年10月ドル円は145円と24年ぶりの円安水準となりました。
今回は円安からの高いボラティリティーを含んだ過去の【円高へ】進んだ歴史を振り返り円高シフトへのきっかけを生んだ
【ニクソンショック】と現在の為替を比較してチェンジの合図を探っていきます。
会長!おはようございます
円高っていうと…ニクソンショックがきっかけだった気がしますが
そうだね
ニクソンショックは円高シフトのきっかじゃったな
では今回はニクソンショックの歴史を教えていただけますか
よかろう歴史を学ぶことは大切じゃからのう
ニクソンショックの教訓を学んで今後の投資にいかそう
ニクソンショックの背景
ニクソンショックとは1971年8月15日の日曜日、当時の米大統領ニクソン氏がドルと金の交換停止を突然発表し世界金融が大混乱になった出来事です
第二次世界大戦後の国際金融史上最も世界を震撼させた大事件となりました
なぜ金とドルの交換をやめちゃったのかな?
そもそも金とドルの交換ってなんだろう?
ブレントウッズ体制の脆弱性が浮き彫りになっていったんじゃ
今じゃ考えられないかもしれんが通貨が固定相場制になっていたんじゃぞ
金とドルの交換を保証するブレトンウッズ体制
ブレトンウッズ体制とは終戦前の1944年にアメリカのニューハンプシャー州ブレトンウッズで行われた米・英をはじめとする連合国による会議において締結された通過体制のあり方を定めたことです。
このブレトンウッズ体制は、戦後の世界経済的な経済発展と貿易の安定化などを目的に定められました。これは、第一次対戦後の物価混乱やブラックサーズデー(暗黒の木曜日)後の世界恐慌などを受けて各国が過度な保護主義に走ったことが第二次世界大戦の引き金になったという反省から生まれたものです。
この体制は、当時から世界経済の中心を担っていたアメリカの米ドルと、世界的に共通して価値のある金が中心となるものでした。
ドルと金との交換を保証し、その水準(金1オンス=35ドル)を定めることでドルの信用力を高めます。
そのうえで、ドルと各国通過との固定相場水準を定め、日々の変動幅を上下1%以内(日本の場合は当初0.5%、のちに0.75%)に抑えるという固定相場制度がとられました。
各国はこの制度のもとで当初定められた1ドルに対して(日本円360、英ポンド0.3571、独マルク4.2)という枠組みを維持していたのです。
この枠組みをニクソン大統領がとりやめることによって
米ドルの地位が低下し変動相場制になるきっかけとなったんじゃ
ブレトンウッズ体制の終焉
東西の冷戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争で出費がかさんだ米国では金・外貨準備が激減していました。
1971年の5月には、ドル売り西ドイツマルク買いの動きが強まりマルクが実質的に切り上げられました。7月には金のドル建て価格が急騰し、8月には米国の上下両院経済合同委員会国際通貨分科会がドル切り下げを提案します。
このような状態のもと8月13日に英国が米国へ30億ドルの金交換を申し出ると米国は持ちこたえることができなくなりニクソン大統領が金とドルの交換を停止しブレトンウッズ体制は終了していきます。
ニクソンショックの後どうなったか
このニクソンショックは、ドルが金から解放されることで海外の国が保有するドルを金に交換するシステムはなくなり、金との兌換(だかん)平価は通貨政策上無意味となりました。
これは通貨間の相対価値こそが通貨の価値を決める唯一の手立てであるという新しい認識が誕生しました。
そして長い歴史上通貨として大役を担ってきた金の役目は米国大統領の一声によって一貴金属として世界に封じ込められることとなり、今日でも使われている変動相場制度への幕開けしたのです。
1978年にはドルの価格が下落しましたが、その後徐々に相場が高くなり、ドル高を記録します。ドル高によりアメリカは元々の財政赤字に加え、貿易赤字も拡大しました。これを「双子の赤字」と呼びます。その後ドル高を是正するべく1985年に「プラザ合意」を締結して、ドル安がさらに進みました。
日本ではプラザ合意の影響を受けてドル安円高が進み、円高不況になり日本銀行が市場への介入を開始しそこからバブル経済への道を歩んでいくことになるのです。
教訓と今後の活用
ニクソンショックは、戦後の国際金融市場の枠組みを変える大事件でした。しかし大事件だからといって必ずしも世界景気が悪化するとは限りませんでした。